◆◇橘という植物◇◆


  学名 Citrus tachibana ミカン科


 橘といえば京都御所の紫宸殿(ししんでん)の右近の橘を、また雛飾りの橘を思い浮かべる人が多いであろう。しかし、実際に生息している橘を見た人は以外と少数ではなかろうか。

 植物図鑑には「本州静岡・愛知・和歌山・山口諸県・四国・九州・琉球の海岸に近い山地にまれにはえる日本固有の常緑小高木。高さ2〜4m。花は初夏。果実は径2,5p、冬に熟し酸味が強く食べられない。」とある。
他書いろいろ調べてみると、どうやら私たちが冬に食するミカンの先祖に近いようである。そう思えば何かしら親近感もわいてくる
。図鑑には日本固有とあるが、ミカンの先祖となれば、やはり大陸から伝来したと考えた方が自然である。

『古事記』の垂仁天皇の御代(紀元前29年〜紀元70年?)に田道間守(たじまもり)が天皇から「ときじくのかぐのこのみ」を採ってくる命を受けて、苦難の末ついに、「ときじくのかぐのこのみ」の枝を持って帰ってくるという伝説が載っている。この「ときじくのかぐのこのみ」が橘ではないかといわれている。
その他、奈良時代の歌集『万葉集』にも花橘・橘として数首の歌に詠み込まれている。
また、『伊勢物語』『源氏物語』にも橘の記述が見られるなど、橘はいつの時代にも庶民の近くにあり、親しまれていたようだ。

  「旅たのし荷つき橘籠にみてり」 杉田久女
         (明治23年〜昭和21年、鹿児島県生まれ)

 江戸時代、この橘町にも橘の木があっても不思議ではない。「ときじくのかぐのこのみ」のかぐわしい香りが漂っていたら、二代藩主も思わず「さつきまつ 花たちばなの・・・・・・・・・・・」の歌を口ずさんだのではなかろうか。