◆◇四隣の跡:01◇◆


 二葉亭四迷(ふたばていしめい)、本名、長谷川辰之助が幼少の頃に過ごした家が、現在の松原町二丁目にある。二葉亭四迷は文久4年(1864)尾張藩の下級武士、長谷川吉数の第一子として江戸に生まれた。5歳の時、母、志津(後藤姓)の実家(当地)に入る。明治3年父吉数は名古屋藩史生準出仕となり、同6年、愛知県権少属(下級官吏)になる。辰之助は明治5年(1872)8歳の時、再び東京にもどるまでの3年間あまりをこの地で過ごした。
 二葉亭四迷の育った長谷川家は、下級武士の家柄ではあるが、父、吉数は夕食の時には常磐津を一くさり語り、母、志津が三味線を弾くなど、武士的なものと町民的なものとがが入り交じっている家風であった。芸処名古屋人の母親と知識階級である武士の父親の血筋が、二葉亭四迷の文学活動の礎に流れているのだろう。


二葉亭四迷(1864〜1909)
東京外語学校の露学部に入学。ロシア文学に魅せられて、代表作を耽読する。写実主義(目に見える現象から本質を捉えることを主張)を唱え、小説『浮雲』を発表。『浮雲』は本格的な写実主義小説として絶賛され、日本近代文学の先駆とされる。また、小説論『小説総論』や翻訳小説『あひびき』『めぐりあひ』を発表した。これらは口語体(話し言葉)を生かす手法(言文一致)で書かれ、近代文学の基礎を築き上げた。