執行部だより
〜橘座開設増刊第一号〜


橘座ついに復活!!
平成版橘座を自分達の手で

来る4月20日(土)、新校舎の地下1階の視聴覚室において「橘座」が復活することは、皆さんもご存知であると思います。そこで、生徒会執行部と常任委員会や、有志の方達、写真部と情報処理研究会の方達などの力を借りて、「橘座」復活に向けて、橘町調査研究班,橘座調査研究班,演劇班,舞台演出班の4つの班に分かれて準備を急いでいます。地域の人の協力もいただいて、111年ぶりに復活させようとしています。

橘座は、江戸時代、寛文4年(1664年)に名古屋城主徳川光友(みつとも)卿の時代に、たくさん人を集めて芝居が催されたとの事です。特に7台城主の徳川宗春の時代では繁栄を極め、その後、栄枯盛衰(えいこせいすい)を繰り返しながら続いていました。そして、明治24年(1891年)の濃尾地震で芝居小屋が倒壊してしまうまで217年間の長きにわたり続いたとの事です。




取材記録   Ver.1 3月4日(月)

橘町から大須に続く旧街道には仏壇・仏具の専門店が軒を連ねる。歴史を伝える職人さんと商店の町であった。そこで腕に技術を刻んだ職人さんに歴史を紐解く糸口を見つけようとの思いから取材を始めたいと思います。

第1回目は24歳の時に仏像彫刻の修行を始めたI氏です。以来30年、その道一筋に一片の木材に魂を吹き込んできた。繊細な指先の動きから作り出される仏像は一級の芸術品である。

1,訪問先:京仏師 六代目 I氏宅(仏像彫刻と修復が専門)

2,質問内容:

どうしてこの仕事を始めようと思いましたか?
江戸末期から代々続いていて、気付くと親父の真似をして木を彫っていました。周りの人からも、家を継ぐ期待を受けていましたので決心しました。

仕事で一番難しいことは何ですか?
木材の角からではなく、面から仏像を彫り進めるところです。正面の輪郭は容易です。側面の感覚をつかむのに長年の経験が必要です。私が34歳のときに親父が亡くなりましたので、手本がなくて試行錯誤の連続でした。

職人さんが少なくなっていますが?
昔に営んでいた方も転居されたり、高齢化と後継者の問題でさみしいことです。後代に語り伝えることは大切なことです。

本校の昔の様子を聞かせてください。
記憶にあるのは、工芸女学校だったことです。間もなくして工業高校で男子校になりましたね。技術を学ぶのは大切なことです。

(取材後記)一本の角材から彫り進めて瞬く間に顔に輪郭を完成させてしまう技術に、取材へ赴いた一同、息をのんだ。仏像彫刻の奥の深さを痛感した取材であった。



橘町調査研究班 橘町近辺のご年配の方に昔の様子を尋ねたり、職人さんにお話を伺ったり、町の様子や職人さんのお仕事の様子をカメラで撮影し、得た情報を「橘かいわい」や「執行部だより」として配布する。また、その情報を愛産大工業高校のホームページで配信する。
橘座調査研究班 新校舎地下1階の「たちばなホール」に設置するための、「常設パネル」や「展示物」の製作などの活動。「たちばなホール」をよりいっそう美しく飾る。
演劇班 昔、この地にあった芝居小屋の「橘座」を復活させようと集まった班。また、「お楽しみの劇」をやってくれる予定です。
会場設営班 「橘座」復活の際の、「看板」作りや「舞台装置」や「照明装置」などの製作をして、舞台の設営をしていく。



このような、長い歴史を持った「橘座」を研究し、復活させようとするのが、「平成橘座」です。全校生徒の皆さんと地域の方々のご理解とご協力をよろしくお願いします。