|
戦後間もない頃、目や耳の不自由なこどもたちのために全私財を投じた米山起努子女史。米山女史は昭和23年に来日したヘレン・ケラーに共鳴し、目や耳の不自由なこどもたちのための入所施設建設を考えました。終戦直後の混乱・困窮した経済情勢の中、ただ一人で福祉施設の建設に取り組むことは困難の連続でした。ついに昭和25年4月、待望の寮舎が名鉄岡崎駅から徒歩10分の地に完成。多くの人の手助けもあり、養護施設として新たな福祉活動がはじめられました。しかし、その寮舎も老朽化が進み、子供たちが住むには危険な状況となりました。
そして現在、米山寮は多くの方々の浄財により「米山せきれいの郷(第一期工事完成)」として生まれ変わり、平成17年10月から新しい生活を始めております。これからも当校生徒会は子供たちの“お兄さん・お姉さん”役として子供たちとのふれあいや寮のお手伝い、さらには募金活動へ微力ですがお手伝いさせていただきます。 |